大学時代に下宿していた松永荘の下宿生の同窓会が広島で開催されました。
松永荘に住んでいたのは45年も前のことです。その頃は大学の荒れていた頃で、大学は封鎖。授業もなく、かといってアルバイトや遊びをするわけでもなく、ただ悶々として本を読み、友達と議論をし、自分以外の者すべてに反発する様な暗い時代でした。
秋の初めごろ突然電話が掛かってきて、下宿の同窓会をすると言います。幹事の方の名前を聞いても思い出せません。どうして私が判ったのか、新たの詐欺まがいではないのかといぶかっていますと、どうも賀状を交換している当時の後輩から辿ったようです。
微かに残っている当時の仲間の名前を頼りに、参加してみることにしました。広島の「かなわ」という牡蠣船でした。
出席者は昭和45年~51年卒の21名でした。年寄りが多いなという印象でしたが、私は45年卒なので、私より若い人たちばかりでした。
45年も前の記憶を蘇らすのは大変でしたが、話していると私が忘れてしまっているような事件のことなどをいろいろ聞かせてくれました。
私は自分の思い出したくないこと、暗い記憶というものが抜け落ちているということが判りました。それでも参加者の方の話を聴きながら、人それぞれの人生を味わってきました。
翌日、広島には市電が走っているので、電車の好きな私は全路線乗ってみることにしました。44年に廃止になった神戸の市電も1台だけですが、まだ広島で走っているのです。
9路線あるのですが、市街地の主要路線には最新の車両が走っており、辺鄙な所や盲腸のような路線には昔ながらの電車が走っています。私は運転手の真後ろの席に陣取って運転を見学していました。旧型の車両ほど面白いのです。
昼ご飯も食べずに電車に乗りっぱなしで、やっと全路線を乗車し、満足して帰路につきました。
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