29年前5時46分、地の底から突き上げられるような衝撃で目を覚ましました。このような地震は初めての経験でした。家族の安全を確かめると、すぐに車で職場へ急ぎました。私の住んでいた地域は、建物の損壊はほとんど無く、一見通常の様に見えましたが、交差点の信号は全て消えていました。
その日から職場にずっと泊まり込みでした。家では水道が止まり、店が閉まり、家内の両親が避難してきて数日泊って行ったそうですが、すべて家内に任せていて知りませんでした。TVで市街地の方が大変なことになっているのを見ても、どうすることもできません。灰が須磨アルプスを越えて横尾団地まで降ってきました。
仮設住宅の建設、運営も大変でした。抽選に漏れた人は長く避難所に留まらなくてはなりません。平等に、丁寧になんて言っておれない状態でした。家内も板宿の避難所にボランティアに通いました。震災のことを思い出すときりがありません。
今日は震災から29年目の日です。東遊園地では大勢の人が鎮魂の集会に参加されていましたが、我家では5時46分に竹灯籠に蠟燭を立てて、亡くなった方々の御霊に祈りました。私の生涯で大きな事件でした。
今年も正月早々、能登半島地震が起きました。南海トラフ地震も心配です。「喉下過ぎても熱さを忘れず」で常に危機意識をもって備えておくことが大切だとつくづく再認識しました。
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