今日は阪神・淡路大震災から30年です。あの時は横尾団地の4階に住んでいました。
夜明け前、空中に蹴り上げられたような揺れが数十秒間続き、今にも部屋が崩れてくるのではないかという恐怖。はっきりとした記憶は残っていませんが、身支度をしてすぐ職場に駆け付けたのを覚えています。交差点では信号が消えており、恐る恐る進みました。
その時は西区勤務だったので、見た目ではそんなにひどい被害は無いと思って思われました。しかし、家屋の倒壊こそありませんでしたが、屋根瓦が落ち、壁が傾き、水道、ガスが止まりました。被害が甚大なのを知ったのはその後です。灘、中央、兵庫、長田、須磨の市街地は大変なことになっていました。
今日三宮駅を降りると大勢の人々が東遊園地に向かっていました。震災の集いに参加する人達です。遊園地には紙の灯篭で「よりそう」という文字が描かれていました。大勢の人が竹灯籠に蝋燭を灯し祈っています。私と家内もあの日を思い黙禱しました。
慰霊と復興のモニュメントには犠牲者の名を刻んだ銘板が貼られていました。友人のお母さんの名もありました。何とも言えない気持ちで集いを後にしました。
久しぶりに三宮に出たので、いつもなら楽しいショッピングでもするのですが、今日はそんな気になれず、昔よく行った「たから」という魚料理のお店で食事をして帰ってきました。
須磨駅まで往復歩いたのですが、最近よく歩いているせいか負担になりませんでした。
坂を上り振り返ると光る海が見えます。三十年前と変わらぬ海です。あの日生き残った私たちは歳を重ね老いましたがしっかり生きなければ。
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