2025年3月7日金曜日

フキノトウ、春の気配

 庭の蕗からフキノトウが出てきました。4年ほど前にメルカリでフキの根を購入し植えたのです。翌年から春になるとフキノトウが出てくるようになりました。


私も田舎育ちですが、子供の頃にはフキノトウを食べたことがありません。というよりフキノトウ自体を知らなかったのです。一戸建てに越してきて、散歩をするうちにあちこちの土手や民家の庭に面白い植物を見かけ、それがフキノトウだと知ったのです。


春の味覚だと知って庭に植えてみました。フキノトウは花が咲く前の蕗の蕾です。前年の12月頃には小さな蕾が出来ています。それが春になると大きくなり3月頃になっていわゆるフキノトウとなって地上に出てきます。

この時期しか採れないものなので、ご近所にお分けしたいのですが、誰にでもというわけにはゆきません。自然派か野草に理解のある人に限られます。料理の仕方が解らない方もおられます。今ではネットで調べられるのですが……。手間暇かけるのが苦手な人には調理をしたのを届けることもできますが、そこまで無理にすることもないし…。



早速、家内がフキ味噌を作ってくれました。ネットではフキノトウを油で炒めて味噌と和えると出ていますが、家内は炒めずに作ります。幼い頃の祖母や母の味のようです。



定番は天婦羅です。少し苦みがありますが、春の香りが口いっぱいに広がります。

    






2025年3月3日月曜日

ひな祭り

 今日はひな祭りです。都合により一昨日、孫のもねのお祝いをしました。


お雛様を飾ってお祝いします。我家は親王飾りです。娘の節句のお祝いに家内の両親から贈られたものです。当時は家が手狭だったので、場所をとらない親王飾りをお願いしました。それ以来毎年飾っています。私たちが老いて飾れなくなったら娘が引き継いでくれるでしょうか。


   

 

家内はちらし寿司の準備を始めました。私も具材を切るのを手伝いました。娘と一緒にもねも錦糸卵を手伝いました。薄焼き卵を上手に焼くので感心します。味付けは家内に任せます。


ちらし寿司も綺麗に出来上がりました。美味しいと大好評でした。ちょうどご近所から上等のお吸い物を頂き、お麩の中から具材が出てくるのを見て子供たちは大喜び。嬉しいひなまつりになりました。健やかにに成長してほしいものです。











2025年2月26日水曜日

庭にヒヨドリが住みつきました

 庭の木にミカン、リンゴを刺しているとメジロやヒヨドリが来て美味しそうに食べています。家に居ながらにして野鳥の観察ができます。


メジロは可愛いのですが、ヒヨドリは厚かましくて、メジロが食べていると追い払って自分が横取りします。ヒヨドリが大きいのでメジロは逃げていきます。メジロが可哀そうなのでヒヨドリを追い払うと、すぐにメジロが戻って来ます。いたちごっこです。ヒヨドリが食べ尽くしてしまうのでビニールをかけて防禦しました。あまりにも可哀そうなので、すぐ外しましたが…。

そのうち、ヒヨドリも追い払っても遠くへ行かないで、隣の柿の木にとまって待機しています。まるで自分の家のような感じです。家内に言わせるともう我家を「自分の家」と思っているのだそうです。朝早くからやってきて、夕方薄暗くなるまでいます。同じヒヨドリです。


こうなると憎らしさも薄らいで、可愛さが増してきます。メジロはリンゴ、ミカン両方食べますが、ヒヨドリはミカンが好みのようです。果肉を食べ尽くすと白い綿や皮も食べています。鳥たちも冬は木の実も少ないので、食べ物に餓えているのでしょう。


果物も高価なのですが、私たちの食べる分を減らしても鳥たちに与えています。鳥の観察が出来ると思えば楽しいものです。毎日来ておくれ。







2025年2月16日日曜日

懐かしい、もみ殻に入った卵

 昨日田舎で父と母の法要があり、家内と一緒に出席しました。


光明寺に登るのは久しぶりです。山の中腹に駐車場があります。他の参加者は車で上にある狭い回転地まで行っていましたが、私は深い樹木の中を歩いてみたいので、そこに車を置いて花蔵院まで歩きました。さすが山の上だけあって冷え冷えしていました。


住職の話によるとイノシシやシカが住んでいるようで、タケノコは出るとすぐに食べられてしまって伸びないということでした。また、急な坂道は雪が降ると危ないのではと言うと、雪は樹木でおおわれているので、思ったほど積もらないのだそうです。


お寺での法要の後、墓参りをしてきました。花を供え、線香を焚き、お経を唱えました。青空の下、気持ちの良いお参りが出来ました。


粗供養に頂いたのが写真の箱です。加美町の地鶏の卵です。加美町は子供達が小さい頃よくキャンプに行ったところです。テントを張り杉原紙の紙漉きを見学しました。近くのJAで食材を購入し火を起こして夕食を作ったのは楽しい思い出です。11月にはお祭りがあって地鶏を焼いて振るまわれ、大変美味しかったのを思い出します。


今の卵はケージに閉じ込められた鶏が生んだのがほとんどですが、ここの地鶏は土の上を走り回っている鶏です。昔実家でも鶏を飼っていましたが、小屋の中で放し飼いにしていました。一日に数個卵を産んで、それを採りに行くのが子供の役目でした。エサは野菜くず、米糠、貝殻を砕いて与えていました。


また、病気のお見舞いに卵をもみ殻に入れて持って行ったものです。今でこそ卵は物価の優等生と言われていますが、結構高価だったのです。懐かしいものを見ることが出来ました。


早速卵かけで頂きました。昔に帰ったような、懐かしい味でした。

2025年2月2日日曜日

今日は節分、鬼は外、福は内

 今日は節分です。季節の行事を大切にしている我家では、巻き寿司は必ず手作りして食べていました。


家内が頑張って材料を揃え、巻き寿司の準備をしました。お店には豪華な巻き寿司が沢山並んでいますが、我家のは普通の田舎で作っていたものです。特に豪華な食材は入っていません。

孫もやってきて巻き寿司に挑戦です。見るからに危なっかしいのですが、基本だけを教えあとは自由に巻かせています。それでも何とか形になるのはすごいものです。

自分で巻いたのは自分で食べます。少し潰れた巻き寿司ですが、美味しそうに食べていました。中身は一緒ですから、形が良くても悪くても同じ味です。イワシも娘が煮て持ってきてくれたのと、塩焼きと2種類食べました。私は青魚が大好きなので大変満足でした。

節分が近づくとお店の広告には巻き寿司であふれています。お店で買うとピンキリですが1本千円近くする巻き寿司も、家庭で巻けば安く作ることが出来るし、何よりも昔から続いてきた伝統を後世に伝えることが出来ます。商業主義に煽られないで、行事の意味を理解して次の世代に伝えることが大事だと思います。


2025年1月28日火曜日

メジロが我が家の庭に



 ミカンを串にさして庭の木蓮の木に括っていたところ、メジロが来て食べています。庭の野鳥を見ることが出来るのは一戸建ての特権です。


ヒヨが見つけるとすぐに食べ尽くしてしまうので、何とか見つからないようにお願いします。

2025年1月17日金曜日

1.17復興の集いに行ってきました

 今日は阪神・淡路大震災から30年です。あの時は横尾団地の4階に住んでいました。


夜明け前、空中に蹴り上げられたような揺れが数十秒間続き、今にも部屋が崩れてくるのではないかという恐怖。はっきりとした記憶は残っていませんが、身支度をしてすぐ職場に駆け付けたのを覚えています。交差点では信号が消えており、恐る恐る進みました。


その時は西区勤務だったので、見た目ではそんなにひどい被害は無いと思って思われました。しかし、家屋の倒壊こそありませんでしたが、屋根瓦が落ち、壁が傾き、水道、ガスが止まりました。被害が甚大なのを知ったのはその後です。灘、中央、兵庫、長田、須磨の市街地は大変なことになっていました。


今日三宮駅を降りると大勢の人々が東遊園地に向かっていました。震災の集いに参加する人達です。遊園地には紙の灯篭で「よりそう」という文字が描かれていました。大勢の人が竹灯籠に蝋燭を灯し祈っています。私と家内もあの日を思い黙禱しました。

   




慰霊と復興のモニュメントには犠牲者の名を刻んだ銘板が貼られていました。友人のお母さんの名もありました。何とも言えない気持ちで集いを後にしました。


久しぶりに三宮に出たので、いつもなら楽しいショッピングでもするのですが、今日はそんな気になれず、昔よく行った「たから」という魚料理のお店で食事をして帰ってきました。


須磨駅まで往復歩いたのですが、最近よく歩いているせいか負担になりませんでした。

坂を上り振り返ると光る海が見えます。三十年前と変わらぬ海です。あの日生き残った私たちは歳を重ね老いましたがしっかり生きなければ。


2025年1月11日土曜日

鏡開き

 今日は鏡開きです。正月の鏡餅を切って頂く日です。


家内がぜんざいを作ってくれました。甘いものが苦手な私ですが、縁起ものですので美味しく頂きました。七日の七草がゆ、今日の鏡開きと正月の食べ物を頂きました。

    
ぜんざい

七草粥


昔、田舎では「どんと焼」をしていました。竹や藁をピラミッドの様に組んで正月の書初めを燃やし、字が上手になることを願う伝統行事ですが、市街地では無理です。これで正月の行事は終わりです。お疲れさまでした。

2025年1月10日金曜日

かぶら寿司、上出来です

 年末に漬け込んだかぶら寿司を食べてみました。とても美味しい。


今年は定番のブリの他、サケ、マグロも試してみました。どれも大変美味しく出来上がっています。美味しい日本酒と一緒に食べると至福の時間です。こんなに美味しい北陸の郷土料理を近くの店で置いてないとは残念です。食べるには手作りするしかありません。


昨年の正月に発生した能登半島沖地震ではいまだ復興が進まず、また今年の寒波で寒い中、大変な苦労をしておられる人々が報道されています。このような状態で北陸の郷土料理を暖かい部屋で味わっている自分を何とも言えない気持ちですが、国、県、市町の支援で何とか早く再建できるのを祈っています。


2025年1月3日金曜日

新年のお祝い

 正月の二日、家族で新年のお祝いをしました。家内はこの日のために年末から買い出しをしておせちの準備をしていました。40年以上続いていたおせち作りが、昨年は私の入院で初めて途切れ、孫たちが喜びそうな色どりの綺麗な伊達巻や栗きんとんなど数品を作っただけでした。



いつもは30日に仕上げてしまって、大みそかはお重詰めをしゆっくり過ごすのですが、今年は息子の仕事の都合で2日に集まることになったので、31日に仕上げて年が改まった頃にお重詰めが完成したようです。私は早々に寝て朝起きたら新年の準備ができていました。


年々おせち作りが苦痛になってきたのかと思うのですが、レシピの整理、買い出し、下こしらえなどを見ていると、これが大切な仕事と解っているのかテキパキと進めています。豪華な3段重が出来上がりました。後で疲れが出なければいいのですが…。

  


立派なおせちが並びました。今では11月頃からいろんなお店がおせちの予約を募集しています。それを購入すれば簡単で、ご近所でもそうされてる家庭が多いのですが、我家は頑固に手作りにこだわっています。穴が開いても予備のおせちがあるので穴埋めできます。


家内は母親の手作りを見て育ったのですが、誰が受け継いでくれるのだろう。何とか継いでほしいものです。


家内の作ったおせちは好評で、皆楽しみにしています。次回の参考のため、写真を撮って残しています。




久しぶりに家族そろって食卓を囲みました。孫たちは楽しそうに遊び賑やかなことです。


今日はおせちを大盆に盛り付け直し、家内と二人で今年の正月を語らいながらお酒を飲みながらゆっくり味わいました。


美味しいおせち、美味しいお酒、楽しい会話、良い時が過ぎてゆきました。今年も良い年でありますように。





2025年1月1日水曜日

明けましておめでとうございます。

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


数年来休止していた元旦の「おらが山の初日の出を見る会」が復活しました。特に名前があるわけではないのですが、毎年元旦に開催される高倉台連合自治会主催の恒例のイベントでした。


コロナ禍でここ数年は自粛していたのですが、今年から再開されます。勇んで行ってきました。日の出は7時6分頃ですので、眠いですが頑張って起きて山を登りました。おらが山に着くと数人の主催者の方々が準備をしておられました。ちょっと早すぎたかな?


日の出近くになると大勢の人が登って来られました。皆この日を待っていたのでしょう。娘と孫二人も登ってきました。小さいのによく頑張ったことです。7時10分過ぎに雲の上に太陽が顔を出しました。皆さん大喜びです。


大人には樽酒、子供にはお菓子が振るまわれました。樽酒の新酒は美味しい。2杯も頂きました。


一緒に我が家まで帰り、そろって新年の挨拶をし、初めての朝食を頂きました。孫たちが帰った夕方、家内と一緒に旗振り山まで登ってきました。須磨の海がきれいで静かな正月を過ごすことが出来ました。



今年も良い年でありますように。