2025年1月28日火曜日

メジロが我が家の庭に



 ミカンを串にさして庭の木蓮の木に括っていたところ、メジロが来て食べています。庭の野鳥を見ることが出来るのは一戸建ての特権です。


ヒヨが見つけるとすぐに食べ尽くしてしまうので、何とか見つからないようにお願いします。

2025年1月17日金曜日

1.17復興の集いに行ってきました

 今日は阪神・淡路大震災から30年です。あの時は横尾団地の4階に住んでいました。


夜明け前、空中に蹴り上げられたような揺れが数十秒間続き、今にも部屋が崩れてくるのではないかという恐怖。はっきりとした記憶は残っていませんが、身支度をしてすぐ職場に駆け付けたのを覚えています。交差点では信号が消えており、恐る恐る進みました。


その時は西区勤務だったので、見た目ではそんなにひどい被害は無いと思って思われました。しかし、家屋の倒壊こそありませんでしたが、屋根瓦が落ち、壁が傾き、水道、ガスが止まりました。被害が甚大なのを知ったのはその後です。灘、中央、兵庫、長田、須磨の市街地は大変なことになっていました。


今日三宮駅を降りると大勢の人々が東遊園地に向かっていました。震災の集いに参加する人達です。遊園地には紙の灯篭で「よりそう」という文字が描かれていました。大勢の人が竹灯籠に蝋燭を灯し祈っています。私と家内もあの日を思い黙禱しました。

   




慰霊と復興のモニュメントには犠牲者の名を刻んだ銘板が貼られていました。友人のお母さんの名もありました。何とも言えない気持ちで集いを後にしました。


久しぶりに三宮に出たので、いつもなら楽しいショッピングでもするのですが、今日はそんな気になれず、昔よく行った「たから」という魚料理のお店で食事をして帰ってきました。


須磨駅まで往復歩いたのですが、最近よく歩いているせいか負担になりませんでした。

坂を上り振り返ると光る海が見えます。三十年前と変わらぬ海です。あの日生き残った私たちは歳を重ね老いましたがしっかり生きなければ。


2025年1月11日土曜日

鏡開き

 今日は鏡開きです。正月の鏡餅を切って頂く日です。


家内がぜんざいを作ってくれました。甘いものが苦手な私ですが、縁起ものですので美味しく頂きました。七日の七草がゆ、今日の鏡開きと正月の食べ物を頂きました。

    
ぜんざい

七草粥


昔、田舎では「どんと焼」をしていました。竹や藁をピラミッドの様に組んで正月の書初めを燃やし、字が上手になることを願う伝統行事ですが、市街地では無理です。これで正月の行事は終わりです。お疲れさまでした。

2025年1月10日金曜日

かぶら寿司、上出来です

 年末に漬け込んだかぶら寿司を食べてみました。とても美味しい。


今年は定番のブリの他、サケ、マグロも試してみました。どれも大変美味しく出来上がっています。美味しい日本酒と一緒に食べると至福の時間です。こんなに美味しい北陸の郷土料理を近くの店で置いてないとは残念です。食べるには手作りするしかありません。


昨年の正月に発生した能登半島沖地震ではいまだ復興が進まず、また今年の寒波で寒い中、大変な苦労をしておられる人々が報道されています。このような状態で北陸の郷土料理を暖かい部屋で味わっている自分を何とも言えない気持ちですが、国、県、市町の支援で何とか早く再建できるのを祈っています。


2025年1月3日金曜日

新年のお祝い

 正月の二日、家族で新年のお祝いをしました。家内はこの日のために年末から買い出しをしておせちの準備をしていました。40年以上続いていたおせち作りが、昨年は私の入院で初めて途切れ、孫たちが喜びそうな色どりの綺麗な伊達巻や栗きんとんなど数品を作っただけでした。



いつもは30日に仕上げてしまって、大みそかはお重詰めをしゆっくり過ごすのですが、今年は息子の仕事の都合で2日に集まることになったので、31日に仕上げて年が改まった頃にお重詰めが完成したようです。私は早々に寝て朝起きたら新年の準備ができていました。


年々おせち作りが苦痛になってきたのかと思うのですが、レシピの整理、買い出し、下こしらえなどを見ていると、これが大切な仕事と解っているのかテキパキと進めています。豪華な3段重が出来上がりました。後で疲れが出なければいいのですが…。

  


立派なおせちが並びました。今では11月頃からいろんなお店がおせちの予約を募集しています。それを購入すれば簡単で、ご近所でもそうされてる家庭が多いのですが、我家は頑固に手作りにこだわっています。穴が開いても予備のおせちがあるので穴埋めできます。


家内は母親の手作りを見て育ったのですが、誰が受け継いでくれるのだろう。何とか継いでほしいものです。


家内の作ったおせちは好評で、皆楽しみにしています。次回の参考のため、写真を撮って残しています。




久しぶりに家族そろって食卓を囲みました。孫たちは楽しそうに遊び賑やかなことです。


今日はおせちを大盆に盛り付け直し、家内と二人で今年の正月を語らいながらお酒を飲みながらゆっくり味わいました。


美味しいおせち、美味しいお酒、楽しい会話、良い時が過ぎてゆきました。今年も良い年でありますように。





2025年1月1日水曜日

明けましておめでとうございます。

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


数年来休止していた元旦の「おらが山の初日の出を見る会」が復活しました。特に名前があるわけではないのですが、毎年元旦に開催される高倉台連合自治会主催の恒例のイベントでした。


コロナ禍でここ数年は自粛していたのですが、今年から再開されます。勇んで行ってきました。日の出は7時6分頃ですので、眠いですが頑張って起きて山を登りました。おらが山に着くと数人の主催者の方々が準備をしておられました。ちょっと早すぎたかな?


日の出近くになると大勢の人が登って来られました。皆この日を待っていたのでしょう。娘と孫二人も登ってきました。小さいのによく頑張ったことです。7時10分過ぎに雲の上に太陽が顔を出しました。皆さん大喜びです。


大人には樽酒、子供にはお菓子が振るまわれました。樽酒の新酒は美味しい。2杯も頂きました。


一緒に我が家まで帰り、そろって新年の挨拶をし、初めての朝食を頂きました。孫たちが帰った夕方、家内と一緒に旗振り山まで登ってきました。須磨の海がきれいで静かな正月を過ごすことが出来ました。



今年も良い年でありますように。

















2024年12月31日火曜日

かぶら寿司作り

かぶら寿司は北陸金沢の名産で、馴れずしの一種です。以前旅行に行った際食べて非常に気に入り、以後は自前で作っています。


塩漬けしたブリやサバの切り身を、かぶらに挟み込んで麴で発酵させた御飯に漬け込んだものです。北陸には「へしこ 」や「こんか」、「いしる」などの発酵食品が多いのですが、寒い気候を利用した生活の知恵です。


かぶら寿司を作るには下準備がいります。1週間前に魚を塩漬けします。ブリが本格ですが、私はブリ、サケ、マグロの柵を買ってきて塩漬けしました。2~3日前にかぶらを塩漬けします。挟み込む切れ目を入れておきます。

昨日はご飯を炊いて麴を加え、半日ほど温かく保存して甘酒の様なものを作ります。これが一番難しいのです。炊飯器の保温機能を使うという方法もありますが、温度が上がりすぎて麹菌が死んでしまいました。

こたつの中に入れると良いと聞いたのですが、我家には和室が無いのでこたつもありません。今はペットボトルにお湯を入れ、保存容器の上に載せて毛布で包んで温風ファンヒーターの前に置いています。これで何とか甘酒が出来ます。

今日はかぶらに酢で締めた魚の塩漬けを挟み込み、甘酒様の中に漬け込みます。昆布、人参、柚子の皮を入れて約10日ほど置くと、美味しいかぶら寿司が出来るはずです。お正月に間に合うようにしたかったのですが、諸般の事情で年明けになってしまいました。

松が取れる頃には美味しいかぶら寿司が食べられます。美味しいお酒と馴れずし、至福の時です。

  
 
 




2024年12月26日木曜日

我家のクリスマス

家内と二人だけなので、クリスマスといっても特別なものは何も無いのですが、子供達が居たころの習慣でしょうか、家内はツリーを飾ったり、いろんなオーナメントを飾っています。やってきた孫達も大喜び。


一時期電飾が流行った時期がありました。我が家の前面道路はきらびやかな電飾で、まるでネオン街の様でした。それが噂になったのか、あちこちから見物の人がやってくるようになり、車が徐行して通り抜け、夜は危険な状態になりました。

しかしそれも長くは続かず、次第に電飾も減って行き、今では我が家だけになりました。熱しやすく冷めやすい。皆さん歳を取ったのか、子供達も大きくなり、無邪気にキラキラを楽しむ時期は過ぎたのでしょう。

基本的に何もしない我家ですが、それでもクリスマスを口実にちょっと豪華な夕食を楽しみました。チキン、チーズ、サラダで貯めていたワインを開け、二人で乾杯。ちょっぴり非日常を楽しみました。










 

2024年12月24日火曜日

墓参り

加東市の実家の墓参りに行ってきました。毎年年末にはお参りしているのですが、昨年は入院中で 行けなかったので心残りでした。


花を添え線香を燃やし、般若心経を唱えました。忙しい年末なのでお参りの家族はいないだろうと思っていたのですが、隣の区画の方もお参りに来られて声を掛けられました。私は存じ上げなかったのですが、私のことを知っておられました。弟と同級生の方でした。やはり田舎ですね、都会では考えられません。

実家に寄って、正月には来れないので御年賀の品を届けてきました。野菜を沢山頂きました。有難うございます。


その後は播州ラーメンで有名な「紫川ラーメン」で昼食です。滝野にはもう一軒「大橋ラーメン」という有名店があるのですが、私は「紫川ラーメン」の方が好みです。甘口のスープに焼豚、もやし、海苔が乗っている極シンプルなラーメンですが美味しいのです。ラーメン好きの家内も最後まで完食しました。家で食べる即席めんは少し残して私に回ってくるのですが…。

 

寒さは厳しかったですが、天気も良く、懐かしい田舎を走った半日でした。









2024年12月17日火曜日

久しぶりに須磨アルプスへ

肺を患ってから永らく須磨アルプスへは行ってなかったのですが、寛解状態になったので久しぶりに歩いてみました。


高倉台から長い階段を上り栂尾山に行きます。文太郎道を行こうと思ったのですが、家内が自信がないというので階段を上りました。嫌になるほど長いのです。やっとのことで栂尾山に着きました。

家内の様子が変です。以前はこれくらいのルートは平気だったのですが、きついようです。栂尾山から横尾山までのコースも辛そうです。以前はもっと急な直登コースをアグリと一緒に登ったのですが 、約2年間のブランクで体力が衰えているのでしょう。


横尾山に着きました。須磨の海がきれいです。一休みして東へ向かいます。須磨アルプスの馬の背を超えてウバメガシの林を歩きます。東山に着きました。




ここから板宿方面と縦走路に分かれます。私達は縦走路へ。アグリと一緒に歩いた道です。元気な子でした。いつも先頭を歩いていました。


横尾道に降りてきました。縦走路から外れて高倉台方面に歩きます。

啓明学院からはいつもの散歩コースです。久しぶりの須磨アルプスでした。水泳を休止してから運動不足でLDLコレステロールが高くなっていますが、毎日これだけ歩くと良いのでしょうが、体がもちません。


久しぶりに須磨アルプスを歩いて、ご褒美に美味しいお酒と美味しいカキフライで乾杯しました。これではコレステロールも下がりません。




2024年12月11日水曜日

ドクダミ化粧水

 6月にドクダミを採取して瓶に詰め、ホワイトリカーを注いでおくこと6か月、ホワイトリカーが茶色に変化してきました。これで化粧水を作ります。


日本酒でも作ったことがあるのですが、35度のホワイトリカーの方が成分の抽出が良いというのです。刺激を和らげるため3割ほどの水を加えて薄めます。それに少量のグリセリンを加えれば化粧水の出来上がりです。


我家では手作りのドクダミ化粧水を私は髭剃り後に、家内は化粧水として数十年使っています。さっぱりして、後はしっとりとし使用感は満足しています。


ドラッグストアーには高価な化粧品が沢山並んでいますが、手作り化粧水は安価だし安心です。我が家の自然な生活の一面です。


2024年12月8日日曜日

椅子の塗り直し、やっと出来ました

食卓の椅子とテーブルも長く使っているとあちこち塗装が剥げてきます。MIKIMOKUのテーブルと椅子6脚です。やはりよく使う椅子2脚が痛んでいて、家内から買い換えようと言われていました。

塗装が剥げたからと言って買い換えるなんてSDGsに反します。何とか復活させようと奮い立ち、塗り直し作業を始めました。

まず、座面を取り外し、塗装を剥がすことから始めました。

サンドペーパーで#80→#240→#400と 変えながらこすって剥がすのですが、これが大変な作業です。電動のサンダーがあれば楽なのに…。

ホームセンターに行って調べましたが、この作業にしか使わないのに新品を購入するのは勿体ないとオークションで探しました。サンダーを探しながら、並行して手作業で削っていくと、数日かけて何とか2脚の作業が終わりました。ああ疲れた。


塗装を剥がして無垢の状態になった椅子にステインを塗り込みます。液体のもあったのですが、扱い易さからジェリー状の製品を購入しました。1回目、2回目と塗り重ねるたびに色が濃くなってゆきます。これ以上変らないというところまで塗って終わりです。

後はニスを塗るだけです。ニスは2回塗るのですが作業は簡単です。

 


出来上がりです。木目が見えて以前より高級な感じがします。家内も上出来だと喜んでいます。「気長に6脚全部塗り直したら」なんて言っていますがもういいです。取りあえずみっともない塗装の剝がれが治ったのだからひとまずこれで終わりにします。お疲れさんでした。





ついでに玄関ドアも塗っておきました。新品のようになりました。

2024年11月26日火曜日

アグリの思い出




アグリが亡くなって1年経ちました。我が家に来てから7年で逝ってしまったアグリ。今でもアグリが我が家にやって来た時のことは忘れられません。

明石の 赤根川辰巳荘で子犬が産まれたことを知り、一人で見に行きました。可愛くて迎え入れたいのですが、年齢のことを考えて家内が躊躇していました。そこで「見るだけだから」と言って家内を連れてゆきました。



耳の垂れた子犬が走ってきました。抱き上げると小さくて、片手に乗るくらいの大きさです。手を甘噛みし、顔をペロペロ舐められると、反対していた家内の態度も和らぎ、結局連れて帰ることになったのです。

それから楽しい日々が続きました。散歩は最初から裏山を登りました。おらが山~旗振り山へ行くのが日課となり、山で会う人たちにも可愛がられてそれが縁で友達もできました。

 

躾けが大切だからというのでトレーニングに通いました。お座り、来い、伏せ、止まれなどの基本的なことから散歩の仕方などを教わりました。

 

  

勇敢な犬で、冒険好きな私と一緒に道なき道をよく歩きました。岩山や樹林の中でも尻込みせずぐんぐん進みます。しかし、家内が遅れると振り返って待つ従順さも備えていました。周囲4キロ四方では知らない道がないくらいいろんな道を走破しました。

  

5~6歳くらいになってお腹の調子が悪い日が続きました。病院へ行って検査すると腸の病気で、ステロイドを投与しながら生活するしかないということでした。フードを変えてみたりして一時的に改善することはあるのですが、また下痢になってしまいます。


夜中に寝室のドアをガリガリ掻いてお腹が痛いのを知らせます。連れて出ると道路は避けて土の場所まで行き、水のような下痢をします。病院に通う日が増えました。



昨年11月25日、私と家内の腕の中で旅立ってしまいました。天寿を全うしたとは言えない逝き方に無念です。


友人がアグリの命日を覚えていてくださり、綺麗なお花を頂きました。有難うございました。一日に何度もアグリを思います。心の中にいつまでも一緒です。