2024年1月29日月曜日

田舎へ墓参りに行ってきました

 昨年の暮れに、加東市の田舎の実家へのあいさつと両親の墓参りに行く予定だったのですが、肺炎で入院してしまい果たせませんでした。体調もだいぶ回復し、天気も良いので今日行ってきました。


この時期なので墓参りの人もなく、静かな雰囲気でした。花を供え線香をたいて、般若心経を唱えました。前回はアグリも一緒に参ったのにと思うと、祖先の供養よりもアグリの供養を願ってしまったのは、祖先に申し訳ないことになりました。

墓参りの後はいつものコースで「紫川ラーメン」に行ってきました。小さいお店ですがよく混んでいます。この店はラーメン専門店で、メニューはラーメン、ご飯、ビールしかありません。



最近のラーメン屋は他店との差別化を図るため、奇抜なメニューを提供するところが多いのですが、ここは清湯スープの1種類だけです。播州ラーメン独特の甘口醬油味です。


近くに「大橋ラーメン」という古くからの播州ラーメンの有名店がありますが、私はこちらの店が好みです。やはり美味しい。ここのラーメンは1杯食べて、もう1杯食べたいと思うほどです。


久しぶりの外食に満足して、東播をゆっくりドライブして帰途につきました。体調が回復すればドライブでどこか旅に行きたい気持ちでした。気持ちの良い半日でした。







2024年1月23日火曜日

オレンジマーマレードを作ってみました

夏ミカンを頂いたので、それでオレンジマーマレードを作ってみました。家内がマーマレードを食べたいと常日頃言っていたのです。


ネットを見るといろんな作り方が掲載されていますが、今回はマーマレード作りの世界大会で優勝された方のレシピを参考にしました。


ミカンは半分に切って果汁を絞ります。皮は内側の白い皮を削いで細切りにします。果汁を絞った後の種と袋は水を加えて煮てペクチンを採ります。

皮、果汁、ペクチン、グラニュー糖を煮詰めて出来上がりです。今回はなかなかとろみがつかず、仕方がないので市販のペクチンを少し加えました。ペクチンの採り方に問題があったのでしょう。



綺麗なマーマレードが出来上がりました。朝食に食べるのが楽しみです。 


2024年1月21日日曜日

かぶら寿司を作りました

 昨年末かぶら寿司を作ろうと材料を準備していたのです。数年前、金沢の近江町市場で購入して宿で食べましたが、その美味しさが忘れられず自分でも作ってみたくなったのです。


かぶらを塩漬けし、ブリと鮭も塩で締めてあとは漬け込むだけにしていたのですが、肺炎になり入院。家内に電話して、ブリと鮭は甘酢に漬けて退院まで保存してもらいました。かぶらは没になりました。

悔しいので退院してからもう一度材料を仕込み直しました。昨日はもち米とうるち米を半量ずつ柔らかく炊いて、米麹を加え甘酒を作ります。容器に入れ体温ほどの温度に10時間くらい保存します。これが一番難しいのです。以前は炊飯器の保温機能を使って失敗しました。熱すぎたのです。

それから良い方法を見つけました。容器の上にお湯を入れたペットボトルを置き、毛布で包んでファンヒーターの前に置いておくのです。これで御飯が発酵して甘酒になりました。舐めてみると甘い!上手くゆきました。


後は簡単です。今日は塩漬けしたブリと鮭をすし酢に2時間ほど漬け込み、かぶらに挟んで甘酒の容器に付け込みました。これで冷暗所に保存すると10日ほどで食べられます。余った麹で醤油麹を作りました。発酵調味料で家内によると使い勝手が良いそうです。

今石川県は大変なことになっていますが、何とか早く復興してほしいものです。かぶら寿司を食べて能登に思いを馳せています。















2024年1月20日土曜日

多井畑厄神祭り

 1月19日は多井畑厄除け八幡神社の大祭です。昨年は散々な年だったので、普段神頼みなどしない私もお参りに行ってきました。


コロナの時は沿道に屋台は出てなかったのですが、今年は5類になってお店も沢山出ていました。やはりお祭りは賑やかでないと気分が盛り上がりません。


お祓いを受けて拝殿へ。お賽銭を上げ家族の健康、幸せ、国内外で災害、戦争が無く穏やかな日々が続くようにお祈りしました。また、この神社の特徴である紙のひな型に名前を書いて厄を流す「ひな型流し」もしてきました。

これで悪いことが起きないという根拠はありませんが、日々用心して暮らしていけばうっかりした災いは避けられるでしょう。今年こそ良い年になりますように。









2024年1月17日水曜日

あれから29年、阪神淡路大震災

 29年前5時46分、地の底から突き上げられるような衝撃で目を覚ましました。このような地震は初めての経験でした。家族の安全を確かめると、すぐに車で職場へ急ぎました。私の住んでいた地域は、建物の損壊はほとんど無く、一見通常の様に見えましたが、交差点の信号は全て消えていました。

その日から職場にずっと泊まり込みでした。家では水道が止まり、店が閉まり、家内の両親が避難してきて数日泊って行ったそうですが、すべて家内に任せていて知りませんでした。TVで市街地の方が大変なことになっているのを見ても、どうすることもできません。灰が須磨アルプスを越えて横尾団地まで降ってきました。

仮設住宅の建設、運営も大変でした。抽選に漏れた人は長く避難所に留まらなくてはなりません。平等に、丁寧になんて言っておれない状態でした。家内も板宿の避難所にボランティアに通いました。震災のことを思い出すときりがありません。



今日は震災から29年目の日です。東遊園地では大勢の人が鎮魂の集会に参加されていましたが、我家では5時46分に竹灯籠に蠟燭を立てて、亡くなった方々の御霊に祈りました。私の生涯で大きな事件でした。

今年も正月早々、能登半島地震が起きました。南海トラフ地震も心配です。「喉下過ぎても熱さを忘れず」で常に危機意識をもって備えておくことが大切だとつくづく再認識しました。











2024年1月13日土曜日

野菜が育っています

暫く入院して世話が出来なくて心配していたのですが、畑の野菜は順調に成長しています。家内が水やりをしてくれていたのです。


リーフレタスが最盛期です。種から一粒一粒大切に育てただけあって、虫の被害に遭うこともなく順調に育ちました。株ごと採るのではなく、外側から1枚ずつ剥がして食べています。私が入院中も孫たちが喜んで食べていたそうです。

サラダ、牛乳、コーヒーの朝食です。これにパンと手作りのジャムが付きます。朝の定番です。美味しいです。




わけぎはまだ葉が細いので、アサツキの様に食べています。3月頃になると茎も太くなり、私の好きな酢味噌和えで食べられます。

 

玉ネギもまだ細いままです。根を張って温かくなって成長するのを待っています。


エンドウは2種類種を撒きました。「絹さや」と「スナップ」です。本当は直植えするのですが、レタスが頑張っているのでポットで育てています。レタスを食べ終えたら、その跡に植えるつもりです。昨年自家採種した種と、新しく購入した種を撒いて比較してみたのですが、差が無いようです。

庭にコンポストを置いています。四角な木の箱に腐葉土を入れて毎日野菜くずや食品ロスを投入しています。時々米糠を入れて発酵を促進します。2~3日で分解し形がなくなります。


生ごみが減り、それが肥料に変るわけですから、SDGsの最たるものです。家内は臭うと言っていい顔をしませんが、鼻の悪い私は何も感じません。それでも入院中は家内がかき混ぜて空気を入れてくれていたようです。

田舎育ちの私は土と触れていると安心します。お店にはいろんな野菜が綺麗に並んでいますが、自分で作った野菜は別格です。













2024年1月8日月曜日

入院していました

 昨年末に風邪をこじらせ、神戸医療センターへ入院することになりました。


肺炎の疑い、肺胞出血や肺がんの疑いがあるということで、レントゲン、CT,血液検査、気管支鏡検査を行いました。左肺が白く濁っています。また容積も小さくなっています。

気管支鏡検査というのは、直径6mmの細いカメラを直接気管支に入れる検査です。気管支内の痰や肺を水で洗った溶液を取り出し、培養検査や細胞診検査を行います。また、肺の組織の一部を切り取り検査します。上記の疑いに大変有効な検査だそうです。検査時は麻酔をかけられて記憶が無いのですが、30分程度で終わりました。


検査の結果は癌や菌は無かったのですが、抗生物質を投与しても熱がなかなか下がりません。数日後、ステロイドを投与すると急激に熱が下がり、楽になりました。しかし、ステロイドの副作用で血糖値が急上昇し、食事の前にはインスリンの投与が欠かせなくなりました。

結局年末年始を病院で過ごし、16日間入院することになりました。こんなに長期間入院したのは初めての経験です。その間、病院の医療従事者の方々は昼も夜も、年末年始も関わらず働いておられ、別な世界を見たような感じでした。また給食担当の栄養士さん達は、直接お会いすることは無いのですが、クリスマスや正月には特別食を提供してくださり、有難いことだと感謝しています。元日の夕食です。尾頭付きです。


家族の支え、周囲の方々のご厚意にも感謝です。退院して暫くは体を慣らし、徐々に元の生活に戻ってゆこうと思っています。76歳になっても若い頃と変わらず体力だけは自信があったのですが、思い上がりでした。戦戦兢兢 如臨深淵 臨履薄氷の心構えで暮らそうと思います。